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 石柱県に帰った我々を待っていたのは、招待所の料理長の中国料理だった。つぎつぎに出される料理に今日の強行軍など吹っ飛んでしまった。メタセコイア自生地調査に三日間協力していただいた石柱県の皆さん、また長江の港まで見送りに来ていただいた職員のみなさんと、また再会を願って別れた。
 
 私は中国の歴史や文学に無学なのが残念だが、これから湖北省宣昌まで『長江三峡』一泊二日、約200kmの船旅になるらしい。四川省は日本の1.5倍もあり、その面積に降った雨は全てこの三峡に流れる。
 
 大河の各所に三国志・漢詩の世界など書ききれない歴史の舞台になった名所や旧跡が目の前に次々に現れる。中国の長い歴史物語に必ずでてくる長江を船で旅をした私は、中国の歴史などについて通訳の陳先生に聞きながら中国の歴史の一端をしった気分で船旅を楽しんでいた。

続く・・・
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 三峡の谷はそびえる数百mの岸壁、どちらを向いても山水画の世界でとにかく説明しようにも迫力満点の長江下りは、私の頭脳では活字で説明できないのが残念だ。斜面には居住が張り付くように建てられ、まわりは麦の実りの季節で黄金の縞模様とチャノキ・ミカンなどの果樹が植えられ、生活は厳しいかもしれないが桃源郷のような景色を連想していた。長江三峡も終わりに近づき宜昌より少し上流の仮の港で下船した。不思議に思えたが堤長2600mのダム建設のためとわかった。(現在はこのダムより上流に三峡ダムを建設している)

 「宜昌」は日本軍の駆逐艦が「宜昌作戦」で町を壊滅状態にしたと聞いた。戦後宜昌を訪れた人の中には「何しに来た」と詰め寄られたらしいが、現在は政府が禁止したと聞かされていた。通訳といろんな話をしている中で「南京虐殺」の話、後日訪問する武漢も侵略戦争の傷跡は癒えていない街ではないか。

『自然破壊とはこんなことも』食料にこまった日本軍は、爆薬で長江の魚をとって食べた。そのためにあの広い長江が魚で白く見えたと語っていた。生息品種もまだしっかり調査されていないころの、大河の生物も犠牲者なのだ。洞庭湖の入り口を通過し武漢までの川と空しか見えない船上で戦争の愚かしさを話しあっていた。

続く・・
 前回「ショッキングな写真」と書きましたが、我々が日本で普通では見ることはないと思える写真が数枚、ここで説明するには無理があります『絶対に過ちは繰り返しません』としか話せなかった。過去の問題だと考えたいが、加害者と被害者の立場で話をしている中で『貴方の父親もこの戦争の被害者ですよ』と彼は話をしていた。

武漢市で中国科学院武漢植物研究所を訪問した。初めて研究所を見学させていただいた私は、研究所の規模に圧倒されていた。この研究所は二度訪問することになり植物学・漢方医薬・植物環境学など各分野で研究がおこなわれていた。

広大な植物見本園は何前種?の植物のある中で、生きた品種は初めてで「八角=ハッカク」という日本のシミキの仲間でこのグループは猛毒を持っているが、この八角だけは無毒で球果は中華料理には欠かせない香辛料なのだ。日本のシキミの球果もよく似ているので、間違って利用することのないように注意したい。漢方薬学は私の語れる分野ではないが、何十種類もの植物を組み合わせて利用するそうで、畑の草スゲリヒユ・ナズナ・ハコベにいたるまで漢方薬の原料にする。

続く・・
 中国の植物研究所の歴史は長く漢方薬の歴史は、数千年も続いていると話していた。その後何回かの中国旅行は、中国植物図鑑に記載されている植物を次々と拝見することができた。また植物と人間の付き合い方を、もう一度考え直すきっかけにもなった。

日本の庭園には大陸の植物が数多く利用されている。梅・竹・キンモクセイ・サルスベリ・ウルシ・ハゼなど数百年も前に渡来したものも多い。また柿・茶・ヒガンバナのように自生か渡来品かはっきりしない品種もあるが、解明されていない品種も多い。

 海を渡ることなどないと思っていた私は、21日間もの中国の旅があっという間に過ぎたことを不思議に思っていた。もしかしたら農耕民族と漢字の世界にいたためかもしれません。そして帰国後、長江の水害の新聞記事をみた。あの長江の水位が場所によっては100mもあがったと報道していた。

続く・・・
 その後二年に一度の中国の山野を旅することになったが、長江(揚子江)はヒマラヤ山脈から上海まで約6千kmと巨大な大河だ。地球の一角といってもとにかく広いこの国を旅するのは簡単ではない。

 諦めたわけではないが二千年の秋以後7年間は冬眠中だ。多くの日本人が中国に旅行されている。人が多い=便所が・・=貧乏・・=などの話を聞いての1981年の中国の旅行で、私が実感した『眠れる獅子?』は目を開けしっかりと世界をみつめていると感じたのは、書店の自然科学・医学・工学などすべての分野に専門書が並んでいて若者たちが検索していた。

 おもしろい話もある。通訳の陳氏がこんな本はいらないかと持ってきたのは、日本の袴田里見氏「党員
」が日本共産党の中傷本を出版されたが、一年もたたないうちに中国語に翻訳され書店の政治経済のコーナーに数冊あった。あまり売れていないように感じた。私は陳先生に『こういう本をみると馬鹿になる』と言ったら『フフフ』と笑っていた。当時は日中共産党は仲が良くはなかったが、今日では北京大学で不破哲三氏が演説するほど仲が良い。私の友人は植物研究所などで『Yも共産党だ』と話した。儀礼的と思うが我が同士と言われ気分が良かった。今日中国の成長はすさまじいが、日本のような資本主義の結末を迎えないように願っている。

く・・
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