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 三峡の谷はそびえる数百mの岸壁、どちらを向いても山水画の世界でとにかく説明しようにも迫力満点の長江下りは、私の頭脳では活字で説明できないのが残念だ。斜面には居住が張り付くように建てられ、まわりは麦の実りの季節で黄金の縞模様とチャノキ・ミカンなどの果樹が植えられ、生活は厳しいかもしれないが桃源郷のような景色を連想していた。長江三峡も終わりに近づき宜昌より少し上流の仮の港で下船した。不思議に思えたが堤長2600mのダム建設のためとわかった。(現在はこのダムより上流に三峡ダムを建設している)

 「宜昌」は日本軍の駆逐艦が「宜昌作戦」で町を壊滅状態にしたと聞いた。戦後宜昌を訪れた人の中には「何しに来た」と詰め寄られたらしいが、現在は政府が禁止したと聞かされていた。通訳といろんな話をしている中で「南京虐殺」の話、後日訪問する武漢も侵略戦争の傷跡は癒えていない街ではないか。

『自然破壊とはこんなことも』食料にこまった日本軍は、爆薬で長江の魚をとって食べた。そのためにあの広い長江が魚で白く見えたと語っていた。生息品種もまだしっかり調査されていないころの、大河の生物も犠牲者なのだ。洞庭湖の入り口を通過し武漢までの川と空しか見えない船上で戦争の愚かしさを話しあっていた。

続く・・
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